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故意と因果関係

前提として
199条(殺人罪)
 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

39条1項(故意)
 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。


今回の事例
 XはAに殺意を持って切りつけて、重症を負わせたが、殺害するには至らなかった。
 しかし、病院へ搬送された後、治療の継続中に、病院で地震に罹災し、もって死亡するに至った。
 Xの罪責は。


 そもそも犯罪が成立する前提として、構成要件に該当する事が必要です。
 構成要件とは、言ってみれば条文の中身。事例に即して言えば、Xが199条の「人を殺した者」に該当するかどうかが勝負になります。

 そして、Xが殺した、と言えるためには、Xの行為が結果発生の現実的危険性がある行為(これを刑法では実行行為って言います)を行っている必要があり、結果が発生しており、その結果がXの実行行為から発生したと言えることが必要です。(これを因果関係と言います)

 以上の通り、構成要件の客観面は、実行行為、結果、因果関係が必要です。
 そして、主観的な面としては、罪を犯す意思、すなわち故意が必要です。(刑法39条1項より)
 
 殺す意思があって殺したのなら、殺人罪。殺す意思がなく殺したのなら、傷害致死罪(205条)になる、なんて感じで、適用する条文が変わりますから、一般的には、故意も構成要件の主観面である、と考えます。


 こんなあたりで冒頭の事例に戻ります。
 普通に考えれば、Xの傷害行為によってAが死亡したわけではないので、Xの行為とAの死亡の間に因果関係がない、ということになるでしょう。
 したがって、怪我を負わせた、という範囲で、殺人未遂か、そうでなければ傷害罪の罪責を負います。


 ここで勝負の分かれ目が、故意の認定。


 ところで、故意の中身には、どんなものが必要でしょうか。
 相手が死ぬ、というだけで十分か、それとも自分の行為によって、こういう形で相手が死ぬという事まで必要なのか。
 論点ちっくに紹介すると、故意の認識対象として、因果関係まで必要か、なんて形で聞かれたりします。

 よくある事例が、溺死させようと思って、川に突き落としたら、川に落ちてた(?)岩にぶつかって死亡した、という場合。
 行為者としては、岩にぶつける気はなかったんだぁ!!とか言うかもしれませんが、この言い分を聞く人は、おそらく日本にはいません。
 行為者の行為と因果関係がないと考えられるような、すなわち、特殊な事態が発生した場合には、因果関係の認識に誤りがあった、として故意を阻却する考え方が多いらしいです。
 前提として、故意の認識対象として因果関係は必要、という点なんですが、

 故意とは、構成要件に該当する行為だからやっちゃダメ、という規範があるにも関わらず、あえて行為する意思。
 だとすると、規範があると言えるためには、構成要件に該当する、という認識が必要。
 そして、構成要件の中身に因果関係がある。
 なので、故意の対象として、因果関係が必要。

 この考え方からすれば、川に突き落としたら、岩に頭をぶつけるのって、おかしいことではないよね、って感じで、その程度の間違いは、故意を阻却しない、ということになります。
 実際問題、この考え方では、因果関係が認定されれば故意も認定される、という事に(大体は)なりますから、故意の認識対象として必要かどうか、なんてのは大して問題にならないことが多いです。もちろん、一部特殊な事例もありますが。


 さてさて。再度冒頭の事例に戻ります。

 故意の認識として、さっきの考え方を徹底することにします。
 すると、冒頭の事例では、明らかに特殊な事態です。どこの誰が、地震で死ぬ、なんて考えるでしょうか。いや、考えない。

 反語表現。高校のときは、この「いや、~ない」の部分がなぜ必要なのか、ってのがすごい疑問でしたが、考えてみればこの部分は無いと困るわけで………話を戻します。 

 とまぁ、今回は特殊な事例なので、故意が欠ける、って事になるんでしょうか。
 ふむふむ。故意がない、と。
 そうすると、死亡の部分には因果関係がないから、故意が無いので傷害罪か。

 
 いやいや。殺すつもりで切りかかってるのに、殺人未遂どころか傷害止まり、なんて明らかにおかしい。
(殺人未遂=死刑または無期、もしくは5年以上の懲役。ただし、法律上の減免可能性あり。)
(傷害=3年以上20年以下の懲役)

 すると、どっかを修正して考えなければ…
 どこを?

 一つは、因果関係が故意の認識対象、ってのがおかしいと考える。
 殺すつもりで切りかかってて、切りかかってる時点では、明らかに故意が認められるのに、その後におかしな事があったからって、故意がなくなる、ってのはおかしい。
 そもそも規範というのは、起こしてはいけない結果、というのに対して与えられるのが普通の感覚ではないでしょうか。加えて、その結果を起こす可能性のある行為、まで。

 もう一点は、既遂と未遂では、故意の中身が違う、と考える。
 もちろん、故意は結果に向けられた意思である。
 そうだとしても、行為の時点では行為の時点で殺人の故意があるのだから、結果発生に至らなかったとしても、結果発生以前での、つまりは未遂犯を認めるに十分な故意を認めることは可能であるとも言える。それによって結果が発生したならば、既遂の故意を認めることもできる。
 既遂の故意まで認められないとしても、だからと言って、未遂に必要な故意まで否定される事にはなり得ない。
 言ってみれば、当初は切りかかる行為によって死亡する危険性があったのだから、その時点では十分な故意を認めることができる、と。


 受験通説は、因果関係の認識不要論だったりして。
 実際、因果関係をきっちり論じた後、因果関係の認識をきっちり論じようとすると、なんだか同じ事を繰り返してるような感じに陥りやすくって、うまく書けない(事が多い)。

 受験通説が認識不要論、つまり、法律家の卵に大きな影響を与えてる先生が因果関係の認識不要論。
 最近は、他の人も徐々に影響力が高くなりつつあるから、一概には言えないけれど、因果関係の認識はいらない、って方が、今後は日本の通説になるんじゃないかな~。なんてひそかに思ってたりします。
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プロフィール

author:弁護士 稲毛正弘

群馬弁護士会所属
法律事務所フラットにて執務中
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最近、よく年齢を聞かれます。
身体を動かすことは好きです。

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