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不利益変更の禁止

 民事訴訟法296条1項
 口頭弁論は、当事者が第一審判決の変更を求める限度においてのみ、これをする。


 民事訴訟において、第一審の判断に不服がある場合は、基本的にはどんな理由によってでも、控訴が可能で、控訴審の判断を仰ぐことができる。
 ちなみに、たまに勘違いされてる点を。最高裁判所に上告するには、司法権の最高機関に「判断しろ!」と請求するだけの、もっともな理由が必要。過去の最高裁の判例と違うとか、憲法違反であるとか。控訴と違って、どんな理由でも、というわけにはいかない。
 ただし、「判断しろ!」はダメだけど、「判断してね^^」ってお願いするのならOK。その際、断られたら諦めましょう。

 さて、控訴に話を戻すと、さっきのとおり、控訴はどんな理由でもできるのが原則。もちろん、裁判官の顔が怖かったから、とかは論外だけれども。
 ただ、控訴したら控訴したで、最初よりも不利益に変更される恐れがあるのでは、安心して控訴することができない。
 そこで、控訴審では、控訴を申し立てた当事者にとって、第一審よりも不利益になるような変更はされないように制度が構築されている。
 これが、「不利益変更の禁止」
 民事訴訟法296条1項によると、控訴審での判断は「変更を求める限度」に限定されるのだから、第一審よりも不利益になるように変更はできないよ、という事。

 ここでふと疑問に。
 控訴審で新しく主張された相殺の抗弁って、どうなるんでしょう?

 言わば、第一審では、相手の主張してる権利はそもそも存在しない!と主張していたけれど、控訴審では、「まぁ、あるとしても、俺もあいつに貸しがあるから、それで帳消しで!」という主張を追加したようなケース。

 そもそも、相殺の抗弁は、自分が持っている権利を犠牲にするから、相手の権利も減らしてほしい!という主張になる。抗弁に出された「自分の権利」については、既判力が発生する(=判断された事になる)ため、自分の権利が不存在になる、という点で第一審よりも不利益になる恐れがあるため、問題に。


 A説
 自分で主張したんだから、何の不利益も無いじゃん。

 B説
 自分の権利がなくなっている分、第一審よりも不利益になってるじゃん。


 不利益変更禁止の原則の趣旨から考えると、A説なんだけど…。

釈明義務

平成19年04月23日最高裁判所第一小法廷判決
平成18(あ)726 道路交通法違反被告事件

 記録に照らすと,本件では,第1審公判で取り調べられた本件装置の取扱説明書や証人の供述等の証拠により,本件装置による速度測定の正確度につきプラス誤差は生じないことが一応立証されており,被告人側から,これに疑いを入れるような特段の具体的主張,立証は全く示されていない。それにもかかわらず,原判決は,上記のとおり,取扱説明書の記載や証人の供述を根拠付ける客観的資料がないとして,プラス誤差が生じないことについての証明が十分でないと判断したものである。しかし,第1審公判における検察官の立証の程度は上記のとおりであるから,このような場合,原審裁判所において,検察官の立証がなお不十分であると考えるなら,検察官に対して,プラス誤差が生じないことを客観的に裏付ける資料を追加して証拠調べを請求するかどうかにつき釈明を求め,必要に応じその請求を促すなどして,更に審理を尽くした上で判決すべきであった。殊に本件においては,第1審公判で証人がプラス誤差が出ないことを説明資料で確認したと供述している事情があり,原判決もそのことを指摘しているのであるから,少なくともその資料について追加立証を促すことは容易に行い得たはずである。


 高速道路でのスピード違反について、最高裁までもつれこんだ事件。
 基本的に道交法違反事件って、正式な裁判にならずに終わってしまう事が多いので、非常に珍しい事例、だと言っていいんじゃないだろうか。

 地裁、高裁の判決が手に入らないので正確な事はよくわからないんだけれど、どうやら、スピード違反自体は認めるた上で、その正確な速度が、時速32kmだか、30kmにぎりぎり届いていないのだかで争っているらしい。
 確かに、時速30kmを超えると一発で免停になっちゃうし、気持ちはわからないでもないけれど。
 そのあたりから推察するに、トラックのドライバーとか、そういう人なんだろうか??


 まぁ、その辺はさておき。


 この事件で来たか!と思ったのは、最高裁が正面から釈明義務を認めた点。
 民事、刑事ともに、基本的に裁判所は第三者として、事実認定やら法律判断をやるのが仕事。民事だったら、原告、被告。刑事だったら、検察と被告人が主張している事柄を、双方が集めた証拠から認定し、法律を適用するのみ。
 戦前あたりは、裁判所が積極的に証拠を集めたりもしていたらしいけれど、現在は、対立する当事者にそれを任せて、客観的な判断を行うのみ、というのが訴訟の建前。

 ところが、その建前を押し出すと、裁判所が本当に知りたいと思う点、いわゆる争点について攻撃防御がされず、訴訟全体がぼやけてしまう事になりかねない。また、訴訟のやり方が下手だった、っていうだけで、明らかにおかしな結論を出さざるを得なくなる、っていう事態にもなり得る。ある事実を、言えばすぐ認められるような事情があったにも関わらず、それを言い忘れたがために… (ノ゚ο゚)ノ  という事態になったりとか。

 そんなわけで、裁判所には「釈明権」というのが認められていて、色々と積極的に質問したりなんだりができるようになっている、と。裁判所がこの「釈明権」を適切に行使して、妥当な結論が導き出されるように手当てしている。

 ただ、基本的にはこの釈明権は、やっぱり「権」であって「義務」ではない。(ノ゚ο゚)ノ という結論も、原則として、それぞれの当事者の自己責任。過去に、最高裁が釈明権の不行使を理由にして高裁の判断を覆した事は数えるほどしかない(はず)。
 裁判所が、自分で自分の義務を増やすような判決をそうそうするわけないじゃん。っていう本音がある、という噂もないではない。


 そんな珍しい事件の一例。
プロフィール

author:弁護士 稲毛正弘

群馬弁護士会所属
法律事務所フラットにて執務中
プロフィールのページはこちらから
(どっちもリンクになってます)
最近、よく年齢を聞かれます。
身体を動かすことは好きです。

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