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一歩一歩着実に、そして確実に進んでいきたい。

募集株式における募集条件均一の要請

 発起人が設立の際に、募集設立を選択した場合。

 この募集条件は、募集ごとに均一にしなければならないと定められている。(会社法58条3項)
 一株あたりの値段(≒払込金額)だとか、払込の期間などは一緒にしなければならない…と。

 反対に、発起設立のときは、こういった条件は均一にしなくても良いんだそうな。

 これは、発起人は、設立時発行株式に関する決定を行う際に、全員の同意が必要である(32条1項、58条2項)事から、発起人間で不平等な条件であっても問題無いのに対し、

 募集株式の引受人は、自分以外の引受人に関しての条件を知り得ないたいめ、だかららしい。
 また、募集ごとに均等であれば良いのだから、募集が違えば条件が異なるのも許されるんだそうな。確かに、状況が変われば募集条件も変えざるを得ない、よね。


納得。

事実認定の勝負

 新司法試験では、様々な事実を拾った上で、それに対して法的評価を下すか、に大きな配点が振られているだろう、とのこと。

 確かに、それもそのはず。
 実際の生の事案は、容易に法的評価を下せるような、典型的な事例なんてほとんど無いだろうし、あっても問題にならないはず。
 むしろ、誰が見ても同じ…にはならないからこそ、様々な問題が生まれるし、その分、解決に至る道筋が異なり、さらには結果の妥当性についても判断が分かれる。

 そうだとすると、事実認定…法的評価をいかに下すかって意味も含めてだが、そこに大きな比重があっておかしくないし、むしろあるべきだろう。

 難しいな、と思うのは、刑事事件における、最終的な局面の主観的評価。
 特に殺人事件ではそれが顕著に現れてきます。
 殺人についての故意の有無で、殺人罪か、それとも傷害致死かにわかれるわけですが、当然のごとく、ハッキリした殺意を持ってるような事件はそうそう問題にならないわけで…。

 それまでの供述からは、どう考えても故意を認定することはできないけれど、最終的な局面における客観的状況からは、故意を認定せざるを得ないような事件。

 実務的には、結構ドライに故意を認定しているように感じるのですが、どうしても、犯罪者側に立った認定になってしまいます。
 おそらく、最終的な局面でも、明確な認識があるわけではなく、したがって結果の認容があるわけではない。せいぜい、未必的な認識があるくらいで、認容と言えるほどの余裕は無かったんじゃないか、って。


 やっぱり、客観的な状況から故意を認定せざるを得ないような状況なんだから、当然に結果の認容があった、と見るしかないんだろうか。

そんなわけで思うこと

一個前のエントリーの続編…みたいな感じかな。

 たぶん、全部正しいんだよね。学説って。
 頭の良い人たちが、何十年の研究の末に考え出した事柄なんだから、よっぽどじゃなければ、間違ってる事とかって無いはずなんだよね。

 ただ、何の、どんな利益、どんな原則、どんな機能を重視するか。実際の感覚と、法解釈学の理論と、どっちを重視するか。

 そんな、単なる利益衡量というか、比較衡量というかで、基本的なスタンスとか、考え方とかってのが決まってくるんだと思う。

 だからこそ、自分自身がどう考えるべきか、どうすれば良いのか迷うわけで。
 あっちこっち、自分の思うところだけ切り貼りしていくのは、理論矛盾を起こしたりするし…かと言って、自分が妥当だと思う結論にたどり着くには、理論を捻じ曲げてでも、そっちに持って行きたいわけで…。

う~ん。悩ましい。

どうすればいいんでしょう

 いわゆる六法の中でも、刑法は別格だと思ってます。
 というのも、きっちりとした体系的思考をこれでもか!ってくらい要求されるから。
 そりゃもちろん、他の科目だって必要ですよ。民法とか憲法とか、その他の科目だって、一定の体系的思考が必要でしょう。特に、他の科目の中では民事訴訟法が強い(?)かな。


 他の科目なら、ある論点についての考え方が他の場面に影響する、って事は少ないけれど、刑法に関して言えば…
 誤想防衛は故意を阻却しないが、責任を阻却する可能性がある。なんて言いながら、故意は本来的には責任に位置づけられる。なんて言っちゃったらアウトなわけですよ。

 でもね。それでもね。
 基本的にはある考え方が正しいと思う。でも、この事例においては、この考え方だとどうしても、妥当な結論に辿り着けない。
 なんて事になったらどうしましょ。
 そりゃ、この考え方がダメなんだ。って切るのもアリだけど、基本的には正しいと思うんだよね。ここ以外は全て妥当すると思うんだよね。他の考え方を採用しても、また別のどこかでおかしな事になっちゃうんだよね。


 最近、こんな感じで悩む事が増えました。
 刑法を勉強してるときは仕方ないのかもしれないけど、なんだか寂しい。
 そして、妥当性を図るための論理を導けない自分が悔しい。

塩野行政法

 つい先日まで、宇賀先生の行政法概説で行政法の勉強をしてましたが…どうにも嫌な予感が。
 独自の体系というか、ちょっとくせのある書き方なので、合う人にはピッタリくるんだろうけれど、人を選ぶのではないかと。
 内田先生の民法と同じような匂いがしてます。東大の先生って、みんなこんな感じ…とか?
 ただ、同じ東大でも、大村先生は民法はタイプが違うしなぁ…

 とりあえず、残念ながら宇賀先生の教科書は私には合わなかったようなので、今はこっちを使ってます。



 法律用語や、行政法上のいわゆる論点について細かい説明、論述がされているわけではないので、初めて勉強するには不足、かつ不向きだと思いますが、その分、余計な記述が少なく、行政法特有の概念、用語などがしっかり入ってくる気がします。
 憲法、民法などをそれなりに勉強してあれば、問題ないかと。
 とりあえず、単調な記述の中で強弱をつけてあるので読みやすいと感じました。確かに、重要な論点を流してしまう恐れが無いことはないけれど、そもそも教科書ってどれ使っても同じだろうし。
 細かい論点の整理は、学者先生の本よりも予備校本の方が遥かに強いだろうし、気になったところは論点ごとに判例にあたって、その評釈を読んだ方が良さそう。

 そんなわけで、結構気に入ってます。

逮捕前置主義

<逮捕前置主義>
 勾留には逮捕が先行していなければならないとする原則。
 勾留について定めた刑訴法207条1項が「前3条の規定による勾留の請求」としか規定されておらず、この前3条がいずれも逮捕された被疑者について行われることから。

 この逮捕前置主義には、
 逮捕の際と勾留の際、2度の司法審査によって、身柄拘束に対して二度のチェックをなし、司法的抑制を働かせるものである、との考え方と、
 比較的短期の身柄拘束である逮捕によって、被疑者からの弁解などを聞いた上で捜査活動を行わせることで、勾留という長い身柄拘束を抑制することにその趣旨がある、との考え方が存在する。


 参考人として比較的強制に近い形での任意同行が行われる現状を見ていると、後者の考え方が成り立つのかどうか疑問。ついでに言うと、後者の考え方の前提として、被逮捕者の取調べ受忍義務どころか、供述義務が導かれそうで怖い。


<先行する逮捕の違法>
 逮捕前置主義は適法な逮捕を前提としているため、違法逮捕後の勾留請求は認められない。
 これは、逮捕に対して不服申し立て制度のない現行法上では、勾留の裁判がこの代用となること、違法逮捕であれば、勾留以前に即時釈放されているべきである事などから導かれる。
プロフィール

author:弁護士 稲毛正弘

群馬弁護士会所属
法律事務所フラットにて執務中
プロフィールのページはこちらから
(どっちもリンクになってます)
最近、よく年齢を聞かれます。
身体を動かすことは好きです。

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